努力なんて嫌いだ

暇があれば寝ていたい

家出娘の末路

私は母親と大喧嘩して家を出た。

売り言葉に買い言葉で家を飛び出した。

 

家を出たことを公開しつつも、彼との同棲生活を幸せに過ごしていた。(彼とも喧嘩はしているけれど目をつぶる)

 

家を出て、一人(二人)の生活を楽しんで、自由気ままに過ごしていた。

 

約2年経って、彼との結婚もあり、ようやっと和解して「笑顔」で話せるようになってきた。

もう本当にそれだけで涙がでるくらいの進歩。

 

毒親と暴言を吐き

口をきくこともなく

ご飯も家で食べない

ほとんど会話もない

 

そんな状態だったから、もう本当に進歩。

目の前に座れるだけで本当に進歩。

 

 

そろそろ実家に帰ろうかという話もしていた。

家を飛び出してしまったから、戻ってあの時に戻ろうと。

少し、その話を出したときに、「いつ言い出してくれるが待っていた」と母親に言われた。

 

その時にはっとした。

 

 

母親の時間は、私が出て行ったあの瞬間から動いていなかったんだ。

 

 

娘と喧嘩して、家を半ば追い出すようにしたあの瞬間から、時間は止まっていた。

 

 

その衝撃に、母親は受け入れることができずに、ただその瞬間から進めなかったんだ。

 

 

家を出て行った私一人だけが、自分を時間を進めていた。

 

 

きちんと、娘として、母親を迎えに行かなければ。

 

 

 

いつからか、私は母親の手を離れて成長をしていた。

それが大学になってからなのか、社会人になってからなのか、自分では分からない。

自分はそうだったとしても、母親は違う。

時間の流れが違うのだから、毎日接していても、自分と比べればまだまだ小さい子供でしかない。

しかも、大人と子どもでは時間の流れる速さも桁違いだ。

 

一方父親は、母親ほど接する機会がなかったからか、「お、もうこんなに成長したんだな」と客観的にみれる。

それが良いことか、悪いことかは別として。

すくなくても私にとって救いだったのは間違いない。

主観的な母親と違って、客観的に「今の自分」を見てくれて、評価してくれていたから。

 

 

そう、だから、私が家を飛び出して一番衝撃が大きかったのは母親だったのだ。

 

今回話をして、「家を出る前にリセットして」という言葉を聞いたときに、涙が止まらなくなった。

私が家を出たことの衝撃と、

家に私がいない間の約2年を、

母親は後悔をしていたんだと。

 

 

一緒に旅行をしたかった

一緒にご飯にいきたかった

気軽に、お出かけをしたかった

 

そんな当たり前の母親の要望ですら、私は叶えてあげられていなかった。

 

 

 

と、いうことで、キリの良い4月に実家に戻ることになりそう。

彼とも話をしてどうするかを決めながら。

 

私もあの時に戻って母親を迎えにいったら、

「こんなに大きくなったんだよ!」って伝えてあげたい。

 

そして、今まで家を出ていた分、母親との時間を大切にしたい。

 

 

きっと私も少し「大人」になって、お母さんと同じ時間を歩けるようになっただろうから。

 

お母さん、迎えにいくよ。

だから、一緒の時間を歩いて行こう。