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暇があれば寝ていたい

北海道の男児置き去りは単なる家庭の問題では済まない

北海道の男児置き去りの事件について、保護されてほっと一安心をしている。
無事でよかった。
そして、きっと彼は大物になるんじゃないかと思う。
熊が出没するかもしれない、明日突然雪が降るかもしれない。
そんななか、一人サバイバルをして生き抜いたのだ。
父親をたたくより前に、私はこの男児を称賛したい。
7歳でよくやった。
よく無事で生きていてくれた。


さて、そんな事件の発端は、「父親が子どものしつけのために林に置き去りにした」ことからはじまった。
その場に母親はいなかったのかどうかについては定かではないので、いなかったとしよう。
(いるとすると話が変わってくる)

1.しつけのために
2.見えないところに
3.置き去りにした

ポイントはこの3つ。
私が子どもを理解できていない「保護者」がやる行為ではないと思うのは、2.と3.である。

大事な大事な子どもにどうしてそんなことができるんだろう。
女性の立場から見ると狂気の沙汰としか思えない。

置き去りにした親が悪い。
これはしつけじゃなくて虐待だ。

そんなこたどうだっていい。
かつてはそんなこと当たり前にやっていた。

私だって経験がある。
母親にも父親にも、兄にも、果ては叔父にもおいて行かれた。
兄だって、祖父に蔵に閉じ込められたことがある。
家から追い出され、スーパーにおいて行かれ、それはもう一人にされてぎゃんぎゃん泣きわめいていた。
(さすがにスーパーにおいて行かれた時は祖母が飛んで迎えにきたらしい。私の記憶はない。笑)

でも、思い返してみれば、おいて行っても母親は必ず目の届く範囲にいた。(らしい。)
一方で父親や兄や叔父、祖父は「目の届かないところ」において行った。

この事件もそうだった。
父親」が「目の届かないところ」に「おいて行った」
これが母親だったら?

母親は、お腹のなかに10か月以上も子どもを抱え、文字通りお腹を痛めて子どもを産んだ。
自分の分身といっても過言ではないほど可愛い我が子になにかあったら死んでしまう。
母親はそれこそ精一杯の愛情を注いでいるにも関わらず、イヤイヤ期があり、反抗期、思春期と、我が子と向き合わなければならない。
赤ちゃんの時期は24時間365日休みなくつきっきりで育てる。
男性は、母親が言うことを聞いてくれるほうが珍しいくらい活発で自由な子どもを毎日相手にしていることを理解しているだろうか?


一方父親は、なんの痛みも感じず、ある日突然子どもが増える。
「男性」から「父親」になることを突然求められる。
戸惑うこともあるだろうけれど、日本の育休取得率から考えても、男性が24時間365日子どもにつきっきりなことは珍しい光景だと思う。
だから、たまに子どもと接するときの「たまに」のわがままであれば、ある程度許容できてしまう。
さらに言えば、今回のことのように「少しの時間であれば目を離しても大丈夫だろう」という、子どもを理解しきれていないからこその甘い考えでおいて行くことができる。

子どもを理解している母親は、目を離した瞬間になにをするか分からない生き物が子どもであることを身をもって知っている。
それくらいの理解を父親が持っていれば、「目の届かないところにおいていく」ことがどれだけの危険を孕んでいるのか分かるだろう。

行き過ぎたしつけが生んだ事故ではなく、
父親父親としての責任を果たせなかったから起こった事故であると私は思う。

きっともっと男性が育児に積極的に関わるようになり、「父親」が「保護者」であることを理解できるようになったらこの事故は減ってくるのだろう。

「目の届かないところ」への置き去りが減りますように。

そして、突き放す教育もあるのだということを、きちんと周りの人も理解してほしい。

正常な人の「おいていく」という行為は、嫌いになったとか、捨てたからではなく、愛情と信頼関係のもとに「おいて行っている」。


この事故は単なるこの家族における行き過ぎたしつけが問題だったのではなく、
日本における男性の育児参加率の低さが生んだ事故である。


事件にならなくてよかった。
保護された今、本当にそう思う。